ひじり屋物語

  ● 「ひじり屋物語」はこちらに掲載しております。今までの分も「ひじり屋物語バックナンバー」で
     どうぞお楽しみくださいませ。

                       
2008年10月19日

すっかり更新が遅れ、きっと温泉場の私はのぼせ上がっていることでしょう。

 温泉でのうたた寝は最高で、30分ばかりウトウトしイイ気持ちで上がりました。
主人は「みんな寝てるねんで、信じられへん」ときっちり入浴して出てきてました。
足湯を楽しんでいた叔父さんが明日は「ウニ丼の美味しい処」へ連れて行ってくれ
るとの事。明日を楽しみに、家に着くと義母の手伝いもそこそこに、早々と2階で寝
てしまいました。階下では、今日はここに泊まると言う叔父や、主人、両親達の青森
弁がしばらく飛び交っていました。

 次の日、お仕事のある義父はほっといて、叔父と義母と姪っ子を引き連れ、ウニ丼
へまっしぐら!ならぬ、クネクネと山道を曲がり曲がり走り、少し気持ちが悪くなる頃
やっと着きました。
小さな一軒家の、どこの飯場やみたいな板の間に座り込むと、気分の悪さもどこへ
やら「ウ、ウニ丼」「3色丼」、と興奮気味に大声を張り上げてしまいました。
生ウニでご飯が見えない位のウニ丼。ウニ、いくら、アワビ(なんと贅沢)の三色丼
(私が注文、一番高価かった)。他にも味噌汁、漬物、煮物等が付き文句なく美味
しかったです。(書いてる最中にもよだれが〜)。値段も、こんだけの品質で絶対高
くはない!と主人は叫んでおりました。
満足満足、後は「仏ヶ浦」に行くっぺ、となりまして、私が払う、いや俺が、と大もめし
た挙句、叔父さんに御馳走になってしまいました。ありがとうございました。                                    
                                         
                                          〜又もや続く〜

              ひじり屋物語 バックナンバー】                 
          
                 〜 目 次 


2006年6月9日

 爽やかな日々、電車の中でも初夏らしい装いがちらほら、学生たちの二の腕がまぶし
いです。今回からひじり屋の歴史を爽やかに紹介させて頂きます。

 平成5年に、怖い物知らずの夫婦が取りあえず物がいっぱいあるから売ろかと始めま
した。初期は、な!なんと!漫画本も売っておりまして・・(何屋や)。
日銭を稼ぐ積りの漫画本が日銭を食いまして、泣く泣く聖殿(亭主です)は漫画を撤収致
しました。それからが苦難の道を・・・と、ならないのが、ひじり屋です。助ける紙(神では
なく)があって、ある浮世絵の印刷物が大売れで仕入れの損をカバーしてくれました、とさ。

                                                目次へ 戻る


2006年7月20日

 1年目は1日に2人もお客が来ればいい方で、宣伝しなければ、と駅前で事ある毎に
チラシをまきました。2年目初冬「今日は4人も来たよ」を皮切りに、それ以来お客は少し
づつ増え出しました(売上は・・・別です)。店を始めたのが、バブルがはじけて2年経った
頃で、これ以上悪くならない上向きになるでと、ノー天気に構えていたのですが、とんで
もない、景気はもっと下向きに・・・。競りの市場に出入りしだすと、主人はきれいな伊万
里に魅せられ、訳も解らないのに仕入れだし、これがひじり屋の、じ・ご・くの道への第一
歩となっていったのです。
「何の店や」で始まった店が2年目になると立派?な「伊万里」の店に大変身です。と同時
に貯金も大変身、0がどんどん無くなり、こっちもバブルがはじけたで〜となりました。

  *競り市場を紹介してくれたのは西宮の今は亡き「亀さん」と呼ばれていたおばあさんです。寡黙で気丈夫
   な方で、何も知らない私達に色々教えてくれました。有難うございました。

                                    
                                                目次へ 戻る

2006年8月20日

 何処まで話しましたでしょうか、そうそう我が家のバブルがはじけたとこ迄ですね。
はじける少し前に近隣の大先輩Gさんより、初めて「初期伊万里」を見せていただきました。
まだ伊万里も知らず平和なひとときを過ごしておりましたひじり屋夫妻は、「あんなこわれた
皿なんか欲しないわな〜」と、のたまわりました。しかし、1年も経たない、そののたまわった
口も渇かないうち、なんと「欠けた初期伊万里」を売買するようになろうとは、お釈迦様もご
存知なかったと思います。
 
 そして「阪神淡路大震災」がおこりました。
震災当日、頭にカラーボックスが当たったのも
気づかず寝ていた主人は「あわてるな、こんな
もんで」と、さすが青森生まれの根性でまた寝
てしまいました。
昼過ぎのテレビで「なんかえらいことみたいや。
伊万里がいっぱい壊れてたら店辞めよね。」と
話し合いながら店に出かけたのを、私は今も
はっきり覚えています。
伊万里の仕入れで四苦八苦しており、貯金も
殆ど使い果たし、どうしたものかと考えあぐねて
いた矢先だったのです。                         初期伊万里の裏です。
「伊万里」は8割がた残っていました。              そう、こんな風に割れてました。
ガラスケースの上に、ちーんと存在する
無傷の「藍九谷の兎」の皿を見たときは、奇跡だと思いました。

 私達は生まれて初めて給水車に並んでお水をもらう、という経験をしながら、ほとんど被害
の無かった大阪や堺方面の催事を駆け巡り、何とか日々をしのぎました。大阪と神戸のまる
で違う風景を眺めながら、頭の中は真っ白だけど変に冷静でいられたのはどんな心境だった
のでしょう。

  *震災で学んだのは、運転資金の融資方法と、お客様からの買取の話をいただいた時の複雑な気持ちです。
   何もできない私達に、お客様が、(破損した)知人や親戚の家の道具などの買取りを持ち込んで下さいました。
   ありがたかったのと同時に、傾いた家を目の当たりにして、やましさやつらさをも覚えました。


                                                目次へ 戻る


2006年9月27日

 前回は少し湿っぽいお話になりましたね、今回は震災もなんのその、「うちら陽気な関西人
 やで」の巻をご紹介。

 ある日の午後、店にて。
 店 「それどうされるんですか?」
 客 「玄関に置いて傘立てにするねん」
 店 「あ〜おもしろいですね」
 客 「ええやろ〜 しやけど主人には拾ってきたゆうねん」
 店 「大変ですね・・」
   (拾ってきたと言っても通りそうやな コレ(牧場で使うミルク缶)・・・陰の声)

   * 人にはそれぞれの価値観があります

                    ***** *****

 四天王寺で知り合った喫茶店の店主がある日来店。
 客 「うわっ!これいいですね、いいですね」
 店 「おもしろいでしょう」(私は口程には思っていません、 猛省)
 客 「う〜ん、この色がなんとも言えない」
 店 「壊れてますが直したら使えますよ」
 客 「いえいえ、このままがいいんです これでいいんです」
   (目がやさしい)
 上記の彼は家にピンからキリまで何でも持ってます。主人と二人で喫茶店へ買取りに行っ
 た時のこと。
 私 「このセーターはなんで買ったん?」
 彼 「肌ざわりが気持ちよかったんです」
 私 「表の一石甕 備前?」
 彼 「はい 店の看板になってるし雨風でいい味でしょう」
   (彼にとってカシミヤのセーターも古備前も、どちらも心ふるえる大切なものなんです。
   物を見る眼差しはぴかぴかの一年生)

毎日、お客様とこんな会話をしてるわけではありませんが、胸がワクワクするような出会い
はとても貴重です。

   *金額じゃないんです。 欲しいかどうか、心惹かれるか否かなんです

                      ***** *****

 震災後、それまでの二足のわらじ(主人は別に仕事を持っていました)を脱ぎすて、骨董屋
でやって行こうかいの〜と腹をくくりました。
(おいおい!伊万里にハマってる云々かんぬん言うてたのに・・・半業やったん?)
こんな人いるんですよ。お客→半業者→バリバリの骨董屋。みな生活等を考えると、なかな
か一本にはなれないのです。うちはバリバリの素人→半業者→何となく骨董屋→やっと根性
がついた骨董屋。不安は震災と共にどこかに吹っ飛んでました。お客様との出会いや同業者
の叱咤!叱咤!激励のおかげだと思ってます。

                                                目次へ 戻る                                 

2006年10月4日

 皆さんは骨董というと何をイメージされますか?掛軸、絵画、壺、刀、などなど・・・。
でも、今は古布や着物も持てはやされ、ひとつの市場となっています。
さあ、ひじり屋の歴史、古布もやってますの巻。

 震災後、着物の大量入荷をキッカケに着物古布関係も扱うことになり、私は勉強にと古裂
市場(いちば)に通うようになりました。市場で競られる時代裂に「????こんな裂(きれ)、
何処に存在するんや?」と目を丸くしたものです。博物館にあるようなみごとな時代衣裳、ち
りめん、更紗等、我店では、うぶだし(買取り)したことのない、見たこともない物ばかり。

 一般の買取りを待つだけではダメと、ボーとしている私にハッパをかけ、主人は古裂関係の
仕入れルート探索に走り回りました。苦労のあげく、つかんだ仕入れ先の商品は驚くほど市
場で売れました。仕入れルートの確保は、古物を扱うものにとって一番大切なこと、勉強に
なりました。そして、自信と意欲に繋がりました。遅咲きのうば桜の私に目標が見つかりまし
た。(主人に感謝です)
                                  
 さて、伊万里はどうなったのでしょうか?
ご心配なく立派に仕入れまくってました。その頃、知り合った大先輩のNさんから大量の知識
と伊万里を仕入れていたのです。振り返ってみるに、仕入れることが目的の時期だったので
はないかと思います。これと思うとブレーキのきかない主人にぼんやりの私、Nさんにはずい
ぶん迷惑をかけたのではと思うのですが、今も懇意にお付き合いいただき、それがご縁で色
んな人達とも知り合いになりました。これからも宜しくお願いします。

 お金の苦労は何処も同じようで、ある日Nさんの奥様に「いつになったら、お金の心配なく
仕入れができるんやろ」、とつぶやくと、彼女はいつも通り穏やかな表情でおっしゃいました。
「一生、そんな日はけえへんよ」。
                              
            
骨董など古物は見つけたときが勝負、無理してでも仕入れねば、次に、なんてことはありま
せん。世の中にひとつしかない物もあるからです。
そうして骨董屋は無理して買って、物はあるのに金がない状態に陥ります。なかなかお客に
は売れないし、お金はいるし、で競り市場に出品する、となります。そして、まあなんと!付値
より高値で売れるときがあります。もちろん仕入れの半値以下なんてことも。
市場に重点を置く業者が大半なのではないでしょうか。勝負が早く、市場での動きをよく見て
生荷を出品をすれば、高値で取引される・・かも、もちろん大負けするかも。

                                                目次へ 戻る


2006年11月24日

 ある日の四天王寺でのこと。
商品のトランクを「鍵が開いたら儲けもんや」と買って行った二人連れがおりました。
それから二人は「けったいなオッサン(主人)」の店で待ち合わせをする様になり、私達も「変
な二人連れ」は今日はまだか・・と待つ様になりました。
彼らはアニメ集団の残党?で、今や親類縁者、友人等を含め、頼もしい一大集団となってい
ます。何か困ったときには誰かが役に立つと言う誠に重宝で、他面、厄介な人達なのです。
おもろくて不思議な人達のエピソード、随時紹介させていただきます。 
 

  
 右の時計は店のチラシの原画から作った物。
デザイン、作は上記の二人連れの一人Sさん。
彼はどうでもいい物が大好きで、普段は役に立
ちませんが、おっと困った!という時、不思議に
キレイに処理して、感激させてくれます。
店の看板とチラシも彼の作品です。

 東大阪のサンロード小阪で商店街のお祭りの時
似顔絵を描いてる青年みたいな、おじさんです。
                  ***** *****

 ひじり屋は震災後しばらく着物が良く売れ、四天王寺の売上に貢献してくれました。
逆に伊万里はその売上を減らしていきます。同じ頃、市場で覚えた、綿の古裂(堺更紗、
和更紗)に魅せられ、業者に頼んで仕入れる様になりました。売れなくても味ある古裂は
絶対持たなくては、の思いからです。(伊万里のとき同じや、トホホホ)
店を始めて5〜6年頃、あの頃が1番無欲で一生懸命だったのではないでしょうか。色んな
逸品に触れる嬉しさでいっぱいでした。前記の古裂が、今少しづつ売れています。
そう、10年してやっと報われた感じです。(うん、なことより、よう店もったな〜)

                                               目次へ 戻る


2006年12月27日
                    
 売れない商品「伊万里」のイメージですが、震災後出展する様になった骨董祭では、上手
(じょうて)の傷物や、そば猪口、小皿等が結構売れました。業者やある一定の顧客に、無理
して仕入れた品から売れたのです。
数点売ればたいした売上となり、二人して大喜びで「次回の目標は**万以上や」なんて・・
平和な時代だ!と今にしては懐かしく思います。でもこの「数点売れば」が落とし穴で、たった
の数点が売れなければ、出展料がヤットコサはじき出せるだけの売上結果となります。

 骨董祭参加から5〜6年するとその悲しい状況が表れだしました。
最終日ちっとも売れなくて悲惨な思いで片付けだしたとき、やっと同業者が大皿を買ってくれ、
ホッと胸をなで下ろしたこともありました。「一つ二つ売れる売れないでこんなに違う」、値の
張る「古伊万里」は私達には吉でも凶でもあったのです。

 当時は「エッヘンこんな良い伊万里を置いてねんで」と、まだまだ物を知らない人間の強み
でお気に入りの伊万里だけを並べて悦にいってました(甘〜い)。でも人間はえらい者です。
危うい状況を悟ると、さすがのへんこおじさん(主人)も、ちょうど他古物にも興味を持ち出した
頃でもあり、紙物や当時売れていた着物等も「置こか」となって、主人公−伊万里、脇役−着
物・古布、その他大勢−紙物、と少しづつ展示商品を増やしていきました。

                                                目次へ 戻る


2007年1月17日

 ある露天の「お正月三が日出店」企画に参加しました。
大晦日から他の業者と焚き火を囲んで準備し、何となくワクワクとお正月を待ちました。
ところが、参拝客をあてにしていたのですが、少しコースからはずれた場所だった為、全くお
客が通らず、売上よりも何よりも期待が大きかった分ガックリと来てしまいました。
でも、声を掛けていたお客様や知人が参拝がてら陣中見舞いにと「寒い中大変やね」のね
ぎらいの言葉と一緒に色んな物を差し入れてくれました。三日間車中で寝泊りし、夜はすき
焼き等作って囲み、業者同士四方山話に花を咲かせ、何となくキャンプみたいなお正月を
過ごしました。売上はひどかったけど、それはそれである種、楽しいお正月でした。

 *他から見れば、まあなんとお正月から大変ね、と哀れな露天商に見えたかな、とも思いましたが、「こんな
  人生があるなんて、捨てたもんちやうな!」と少しニッコリしたものです。



2007年3月2日

お客を呼ぶ手段として考えたのが店での催事です。そして色んな思いで集めた品々に「日
の目」をみせてやろうとのオモイもあったのです。

 一番最初の催事は「ひな祭り展」です。もう12回目を迎えます。とても楽しく華やかで集客
力も有ります。お客様はやはり女性が多く、ありがたいことに着物やちりめんのハギレ等の
売上にも貢献してくれます。(現在は郷土雛や江戸〜昭和のお雛様、お道具等を色々集め
て展示しています)。
 

 「古布に遊ぶ展」は今から10年位前に、更紗や中型染め等に魅せられて、売れもしない
のにため込んだ古裂を「見せびらかしたくて」展示したのが始まりです。
1回目、期待してなかったのに早々にお気に入りの和更紗が売れてしまい「何で売れたん
や」と主人は不満顔でした。でも、きちんと物を見るお客様でしたので、いい所へ嫁入りで
きて良かったと私は喜んでます。
                   中型染め 傘尽し

 「兵庫の焼物展」は三田青磁を扱ったのがきっかけで、県下の焼物に興味を持ちました。
「古布に遊ぶ展」の少し後でしょうか。地元と言うこともあり「数寄者」も多く、再評価の動き
も出てきた頃です。素朴で大らかで稚拙?でも中には素晴らしく上手の品も有り、かたひじ
張らずに扱える、でも油断はならんぞ、みたいな「おらが故郷(くに)の焼物」と自慢に思って
ます。
             
  *お客様にご来店いただくということは大変です。骨董祭出展、店での催事等、外に向けて働きかけねば
    広がってゆきません。のんきな骨董屋さんもちょと考えました。(おかげでしんどい!)


                                                目次へ 戻る


2007年3月20日

 今回掲載の緊急報告の様に、単なる仕入が一つの資料発見となる、これも骨董屋の
醍醐味です。

 何に価値を見出すかはその人の勝手ですが、欲しがる人がいればそれは一つの流行と
なります。何の気なしに仕入れた商品が、店では売れず、しょうがなしに出した市場で、な
んと付け値の5倍で売れた・・。それは流行や、分野の違い、不勉強等等、(単にお馬鹿な
業者がいたのかもしれませんが)色々考えられますが、これはワクワク物です。競馬で
一発当てた人の心境でしょう。また次も、と良い意味で必死に勉強し仕入れます。

 流行ったお陰でとんでもない値段になり、本に掲載され「あ〜こんなんお目にかかれない
」と垂涎の的となる品になります。数が少なければその価格はてっぺんで維持されますが、
売れるで〜となると皆が必死に探し出し、出るわ出るわ状態になると「その幻の・・・・」は
ストーンと値段を下げてしまいます。あ〜なんと昔にエエ値段出して仕入れた品が今じゃ
3分の1、でも変な意地でまだ持ってますデス。そんな業者がいっぱいです。
(時代と人が値段を創りだすのかもしれません)

 ネ、骨董屋っておもしろいでしょ?
自分も楽しんでお客とはしゃぎ、ときには歴史にも?残る様な逸品や資料を堀り出すこと、
となるんですから。

    *売る為だけでなく、何かにこだわることも私達にとって商売と言えるかもしれません。


                                                目次へ 戻る


2007年4月15日

 定休日以外必ず店を開けるのがモットー、なので露天や市場に出かける私達に代わって
アルバイトさんが頑張ってくれています。



 開店から半年過ぎた頃から臨時にアルバイトを頼みました。仕事は電話番が主で、来客
は殆んどないし楽だったと思います。
2年経つ頃には、古裂のセット作りが始まり、着物が入荷しだすとその整理に追われる様
になり、事務処理等、仕事らしい仕事が増え始めました(お客も少しは増えたし)。
扱う物は骨董だし、値段がついてない商品もあるし、これはゴミか!みたいな品なもあるし、
でアルバイトさん達は結構神経を使っていると思います。
今ではパソコンからセット作りまで、とても助かってます。(有難うございます)

 私の方も、当初人慣れするまで胃腸の調子がおかしくなり、人を使う難しさをしみじみ感じ
ました。今では、お互い友人感覚で(仕事以外でも)あれこれ刺激しあう仲です。彼女達は
殆んどが主婦なので、小難しいことは言わず各々の経験と智恵を活かし得意分野で頑張っ
てもらえれば、と思っています。

 困ったことは、アルバイトさんも私もお互いイイ年で「あれは何処、これは何?」「誰か一人
位は解ってないんか〜」とよる年波に勝てず苦笑いの毎日、トホホホ!。(年だけか?)
うれしいことは、おすそ分けが多く、「田舎からのいただき物ですのよ、おホホホホ!」などな
ど主婦にとって嬉しい食材をやったり貰ったり、があることです。
彼女達はマイペースです、そう、与えられた仕事をどうすれば上手くこなせるか、キッチリ考
えて行動します。私は小さな脳みそにいっぱいの無理難題を詰め込もうとして、四苦八苦。
「自分のペース」を見落としそうになります。 しっかり深呼吸をして負けず頑張ろう、と日々
闘っております。

                                                目次へ 戻る


2007年5月5日

 ひじり屋は、こんなんですが(どんなや!)なんとパソコンで色々処理してるんですよ。
おかげで事務処理や賀状、案内状等ずいぶん助かっております。

 創業当初からお客様宛ての年賀状等、全て手書き、それこそ字の上手なバイトさんと二
人三脚で何百枚と書いてました。でも、あまりにも多忙過ぎて書く目的が・・・みたいになり、
思い切って4年前パソコンに切り替えました。
例のアニメ残党の身内にパソコンのインストラクターなる女性がおりまして、まあ手取り足
取り(馬鹿チョンおばさん達に)嫌な顔もせず教えてくれます。

 彼女は周囲のあくの強い人達の中で一見普通に見えますが、これが又ヤンワリ根性持
ちでニッコリ笑ってちゃんとモノにする、という頑張り屋さんなのです。笑顔が実に可愛くしっ
かり者、なんで嫁の貰い手が、いや、嫁に行く気がないんやと巷の雀の噂しきり。
器械音痴の私達がチョンチョンとパソコンを操作し「エッヘンどんなもんや」と、ちょっと悦に
入られるのも、彼女のおかげと感謝しております。

 伊万里の仕入れ数が減ると、今度は人気の着物が馬鹿ほど入ってきました。
そう!骨董屋に「楽」と言う文字はないのです。そんな私の強い味方となっているのがパソ
コンなのです。(でも振り回されない様にしよ)
 
 *あ!あれはなんだ、お月様か?イヤ、弱きひじり屋を助け、悩める学生達を励ます、スーパーパソコンウー
   マンだ!!彼女は「パソコンインストラクター」 として、日夜飛び回っているのです。(パソコンにお悩みの方、
   これから勉強をとお考えの方、是非ご相談下さい。彼女は飛んで行きますよ。)

                                     
                                                目次へ 戻る


2007年5月29日

 他から見ると「大丈夫?あの店」と思う位お客様はあまり来ません。骨董屋ってそんなも
んですが、でもちゃんと売って(買って)るんですよ。以下、(古裂の)セリ市場がどんなもん
かな〜をご紹介。

 店でお客に売れなくても、骨董祭で頑張れば、セリ市場に出せば、又、同業者が何かナ
イカと来れば、お金にはなるんです。セリ市場を中心に売買する業者の方が多いかもしれ
ません。このセリ市場、まるで人間ドラマを目の当たりにしている様で面白いのなんのって
「華麗なる・・」なんて目じゃない位です。まず縦社会なので、下っ端のピーピーなんておい
それと買わしてはくれません。無視してセリ上げようもんなら「10年早いわ」とノタマワレマス。
物凄い値段までセリ込まれて、沈没しそうになります。 (まあ世の中はこんなもんでしょうが)

 市場で売るときもほんの一寸技術が入ります。少しでも高く売りたければボーとしてては
ダメ、「ひじり屋さん素敵!」と出した瞬間惹きつけなければなりません。流行の(先取りし
た)品目や、出す順番や、業者の顔ぶれも考えに入れなければいけません。ところが買う
業者も同じものが続くと厭きるし、昼前はお腹がすいて気がそぞろだし、昼過ぎは眠たい
みたいだし、で「テメーら死んじまえ」と毒づきたくなることしばしです。

 でも、おじさんおばさん達の強烈な個性のぶつかり合いの中を、丁々発止と渡り合って
スコーンと良い値段で売りさばけたとき、「私は天才だ」と自分をほめてやりたくなります。
品が良ければ売れるのは当たり前、それを超えたところでいかに業者を惹き付けるかが
肝心毎回心理戦争やってるみたいです。
なんて偉そうなことを書いてますが、スカタンも結構有ります。まあ、愛嬌アイキョウ。

 *怖そうな先輩達ですが味のある人が多く、物に対するこだわりや利益を度外視した商売、おもろい人生
   送ってるな〜、みたいな人達を見ていると頭が下がります。又とても勉強している後輩にも頭が下がります。


                                                目次へ 戻る


2007年7月26日

 前回の続きです。
利益率の高い露天、毎月四天王寺と須磨寺に出店しています。
四天王寺は場所柄か値切りを楽しむおばちゃん達が多く初めは面食らいましたが、この
頃は値段はまけるけど気合は負けへんで、と楽しむゆとりも出てきました。
                                   アニメの残党の一人さん作 振り分けバッグ
  「これなんぼ?」 
  「800円です」
  「500円にして〜な」
  「う〜ん」(考えるフリ)
  「しょうがないわ500円でええよ」
きっと値切られるのを見越しての800円です。

でも「これなんぼ?」
  「100円です」
  「50円にして〜な」
私は50円なんてお金の存在を忘れてました。今時50円で何が買えるねん!。50円をバカにした私は50円に泣くしかありません。
(10円でも5円にしてと、おっしゃいます)。
ガ、ガンバルぞ!!。

おかげ様で売るのは余裕なんですが、後片付けが大変です。今でも憂鬱で、片付けてる
時の私のぶ愛想なこと、邪魔すんなよ!買わんでエエ、商品にさわるんじゃねぇ、と口にこ
そ出しませんが態度に出そうになる。満車でないと不安な主人は「引越しか?」位の商品
を持って行きますので、仕入れも含めると帰りの荷物が増えてる時があり、私は「希望」な
らぬ「荷物」を抱いて帰ることも度々です。

ときには取り囲まれて、アレなんぼコレハ!とせっつかれます。忙しいときにトロトロ出来ま
せんので(私は自慢ではないがトロイ人)、瞬時につり銭が出し入れ出来る様にバッグを加
工して使ってます。

さすがに上記のバッグは、加工はしのびないので仕切り紙を入れて使い易くしてます。
ウエストポーチから始まり、これで何代目でしょう。色んなバッグにお世話になりました。
皆あんた達のおかげです、有難うございます。

 *一昔前なら露天商って裏侘しいものがありましたが、フリーマーケットが流行り若者がたくさん出店しだすと
  何となくあっけらかんとした雰囲気になり、結構楽しい市場になってます。いい仲間と知り合い、お客様もふや
  すことが出来ました。

                                                目次へ 戻る


2007年8月5日

 今回は骨董祭のお話しをいたしましょう。
出展しだしておおよそ15年位になると思いますが、売上向上と共に顧客の開拓、他業者と
の接触、販売方法等、学ぶことは多く眼は開きっぱなしです。

 骨董祭には、津々浦々色んな業者が様々な荷物を詰め込み遠路はるばるやって来ます。
商品を選び、お客の顔を思い浮かべ喜んでもらえるかなとドキドキしながら、主催者からは
せっつかれながら荷物を搬入します。
開場後、目当ての店に走って行くお客の姿に「さあ始まったぞ!」と、一瞬緊張が走り気分
高揚となります。お祭りの始まりです。

 軽快な音楽が流れ会場はざわめきでいっぱい。でも、我が店にすぐにお客が来ることは
殆んどありません。商品の選択を間違ったか、と頭を抱えていると、そのうち一人二人と寄
って来られます。おなじみさんは結構丁寧に見てゆかれますが、お気に入りが無ければ「う
〜ん」とさりげなく去って行かれます。売れない悔しさより、意中の品を用意できなかった申
し訳なさの方が強く、これが次回の仕入れのばねになります。ひじり屋の商品を理解して、
「一番に来るのよ」と言われると、嬉しくって自分のほっぺの一つもたたきたくなります。

 3日目になると、悲喜こもごも、それぞれ業者の顔が違ってきます。キッチリ顧客に売れた
人、もくろみがはずれた人、一発あてた人、やけくそで仕入れに走り回る人。当店ご主人様
は顔に出る人で、初日にでも売れようもんなら、ちょっとニヤついて仕入れへと走ります。今
回はそんな顔は出ませんでした。売れなさをそれぞれ何処ぞに責任をなすりつけて、わりと
各業者、元気なのが不思議。一々嘆いてなんかいられない「次がある」ってとこでしょうか。

 搬入も大変ですが、最終日、ひとふん張りした後の搬出はしんどくてちょっとさみしいもの
です。(冬でも)汗だくになりながら、包んだりたたんだり。私は何年経っても慣れないちょっ
とむなしい気分を、片付けで紛らわし、黙々と荷積みをしていきます。そして売上等反省しな
がら帰路に着きます。遠方なら途中で運転一休みしながら、バカ話やお客様のうわさ、前を
走るトロイ車に毒づきながら神戸へと一っ走り、「祭りの前と後」の喜び悲しみを引っさげて
夜明け前眠りにつきます。

                    *****

 こんなお祭りの準備や倉庫整理は心身ともにとても大変。そんなときお役に立つ助っ人が
います。お待たせしました!前回紹介しました振り分けバッグを造るTさんです。この方はホ
ント仕事はキッチリ、任せて安心、そしてホンワカ、でもしっかりしたおじさまです。
四天王寺でトランクを買って行った、変な二人連れの一人です。
買取りが続くと嬉しいけど整理が大変、汗まみれで主人は荷物と格闘しなければいけませ
ん。整理べたの主人にとっては「神様仏様 T様」となってます。トイレも無い倉庫でホンとに
エライですね、T氏も主人も、ご苦労様です。「いつもこき使いまして申し訳ありませんね」、
「イヤイヤ、え〜ねんよ」と人懐っこい丸い顔で意味ありげにおっしゃいます。(そこがオモロ
イ)。今回は節々が痛いとのこと、お大事に。

 *もしかしたら骨董祭の売上に一番貢献しているのはT氏を含む、なまかイヤ仲間達なのでは。
   ハッハ〜恐れ入りました、有難うござりまする。

                                                目次へ 戻る


2007年9月1日

 極暑のみぎり、お客様は少なくそんなヒマそうなお店では一体何してんの、と言う訳で、
ある日のひじり屋の1日をご紹介。
駅よりわずか5分だが、暑い中を歩いて店に着くと少しホッとする。まずお湯を沸かし掃除
を、でも今日は着物の整理が残っているので、手抜きで良いか、と簡単に済ませる。パソ
コンの電源を入れインターネットで本日のトピックス、そしてメールの確認。少々疲れ気味
なのでそのまま座り込み、芸能ニュースや三文記等を読んで頭慣らしを。

 一息つくと昨日の着物の残務整理に取り掛かる。さあここからが仕事本番です。着物が
入荷すると何だかワクワクする。だからどうなんだ、と思いつつも広げてたたんで「あ〜ギッ
チョンチョン」とつぶやく、それがうれしいときの口癖。嬉しい一品は夏用の付け下げ、少し
薄汚れた様に見えるベージュの濃淡が寂しい。絵柄は左前に墨絵で竹、右前に渋茶色で
干し網と貝殻、昭和初期の品だろうか、貝は部分的に絽刺しになっており、「やりましね、
これ一枚で軽く原価はとれるでしょう」、なんてニヤニヤしながら、と、目に付いた植木の水
やりをする(なんで?)。私はいつもこうである、嬉しい着物はどうなるの?イヤイヤ気が付
いた時にしないと忘れるからで、だから植木の水やりから今度は冷蔵庫の霜取りを済ます。
でも決して着物のことは忘れてない、頭で処理できないので形に残しておく、お陰でやりか
けの仕事があちこちにある状態になる。あ〜こんな女に誰がした、と昔は責任転嫁したもの
だが、最近は自分の性だと冷静に判断出来る位の年齢になった。

 やっと着物に戻ると、店、市場、露天、どうしたらええねん着物 等に分け、それぞれ箱詰
展示をする。そして展示する為に場所を空ける、空ける為にそこにある着物を又分類・・・・
こうなると私の思考が追いつかなくなり、気が付けば店は着物が山積状態になる。「ハハハ」
笑いごとではないがもう17年にもなれば心得たもので「フン」と軽くいなし、まずは食べて力
をつけねばと、昼食に取り掛かる。食べ終わるとメールチェックと伝票整理に取り掛かる。
ご主人様から売上は、と聞かれたときの為、数字を叩き込む。(10分もすると忘れるけど)

 そして元気もりもりで着物に向う。と、本日最初のお客様がご来店。
「暑いわ〜」
「暑い中有難うございます」
さあ、お茶の用意。(自慢ですが当店でお出しするお茶は美味しいと評判)。
                                                
                   *****
2007年9月10日

 おなじみのお客様は山積みの着物に「うわ、見ていいかしら」と、嬉しそうなお声。
「スミマセン、大量に入荷したので散らかってて」、と自分の整理能力の無さをごまか
して愛想笑い。一緒に着物を広げたりたたんだり、それとなく整理していく。小一時間
後、現代大島をお買上げ。嬉しそうに帰られるお客様の姿が励みになって整理がは
かどる。
格好がついた頃、男性のお客様がご来店。伊万里の棚をしげく見て「中国物は無い
ですか」「只今は在庫してないですね」。同業の方で、「ぱっとしないですね、面白い
ことがなくなった」云々かんぬん(こんな四方山話しが大切な情報源)。「又、寄せて
いただきます」と帰られた。商品が無いと言うのは少々つらい、せっかくご来店頂い
たのにと思う。わたしゃ、すっかり商売人になったもんだ。

軽くお茶で一服、またまたメール確認(気分転換?)。さあ、地方発送の準備だ、と時計を
見て「ええ!もう3時過ぎ、今日は着物の整理で終わりか」と叫ぶ。ほとんど一人でいるの
で口はへの字に曲がり、目つきは悪くなる。時々叫んだり、演歌をうなったりしないとおかし
くなる。
 

 地方発送は確実に売れる、うれしい仕事だ。依頼品を集めチェックし値段付け、伝票を発
行して荷造り、発送。このお客様とは電話だけのお付き合いでもう10年位になる、お声から
でも誠実な人柄が感じられ「よっしゃ、これもオマケや」となってしまう。
発送がすむと肩の荷が下りた感じで、後はおまけの仕事や、と気楽に動ける。明日のバイト
さんの仕事の準備や、「入荷しましたよ」と売り込みの電話をする。

 5時です、この頃になるとあと2時間、という引き算の時間割で仕事をする。さあ、深呼吸し
一服(又か、スミマセン)。
店の並びの角に庚申塔があり5体の道祖神を祀っている。いわれの一部に死者を弔った帰
り、ここで草履を新しいのに履きかえ、死霊等を祓った、と書いてあり、やたら心に残った。
以後、店の終わり頃の一服は、「今日も1日有難うございました」と言う気持を込めて飲む。
(疫病予防の神で、商売繁盛の神ではない)。まあ、元気が一番ですから。

 外を見ると、まだ陽炎でも立ち昇りそうな照り返し。ものみな働いている、ご苦労様と思う。
お隣のタイ料理のママさんが、ふうせんかづらを持って来てくれた。青さが清々しい。ちなみ
に花言葉は「多忙」。おみごと!!

                     ***** 
2007年10月27日

 「ひじり屋の或る1日」は、やっとお仕事すませて帰れる、様です。
私は主婦ですのでこの時間(午後6時頃)になると「今日の晩御飯はあれがあるからアレで
これはこうして・・」と、布で山になった机を整理しながら考える。するとフルマラソンを走った
ランナーみたいにドッと疲れが出て、ヨレヨレと座り込み、それでも出来る仕事をする。
(せんでもええのに、貧乏性や)
一休み?の後はボロ雑巾みたいな体に鞭打って、裏に積み上げた商品(か何かわからん)
の整理をする。これがちょっとした重量上げで、整理した箱を腱鞘炎気味の腕をいたわりな
がら2メートル位まで積み上げる。たいしたもんだ私は。
               
まあ、こんな力仕事くらいしないと、資料や専門書をひっくり返しては勉強し、仕入れに走り
回ったり、店の看板おじさん(一度見たら忘れられない顔)にもなってる主人に申し訳ない。
えっ看板娘は私では・・・?。
以前友人が、「もたいまさこ」がエレキを抱え踊り狂ってるコマーシャルを見て、私そっくりだ
と笑い転げた。・・そりゃ酷かろう(どっちに)。と、まあ私の美貌はほっといて、できる人がで
きる仕事をやらねばネ。(トホホ、ち・か・ら、だけか)

 見事に積まれた荷物に大満足。さあ調子が出てきたぞ!、ってもう終わりやろ、は〜ぁ。
お茶の後始末やごみ出し、店の格好づけを確認後「明日よろしくね」と心でつぶやく。そして
何かいっつも忘れ物がある様な気分で店を後にする(やっぱり貧乏性や)。今日も一日無事
に、強盗に襲われることもなく、落下物で怪我することもなく、客とけんかすることもなく、終
えられて良かったと思う。
オットット、鍵かけたかな、はい戻って確認、御苦労さま。


 *店番の間にかかってきた電話は6回、買取り、業者からの問い合わせ、店案内、等々。主人に連絡とったり、
  調べて掛け直したり、これが結構手間がかかる。店をかまえるとは、何のことない仕事の積み重ねで、少々の
  もうけを慰めに、にっこりと一日を過ごすことと思うべし。


                                                目次へ 戻る

2007年12月15日

えー永らくのご無沙汰でございます。すみません、誰に謝ってんのかわかりませんが、
お待たせしました(誰も待ってへん)、ひじり屋がつぶれてない証拠に「ひじり屋物語」
続きで〜す。

そう、この「HP」がやっかいものでしてな、
「ひじり屋さん、あそこ字が間違おてまっせ」
「へ、どこどこ、あ〜えらいこっちゃ、気ィつきまへんで」
と、私今「ちりとてちん」にはまってまして、今回は落語調で一席おつきあいを願います。
               
「なんで、あちこちのページが不揃いでンネン、話はおもろいねんけど・・・」
「わかってまんねん、カメ万年」
「冗談言うてる場合やおまへんで」
「ほな、悪いけどてっとくんなはれな〜(手伝って下さい)」
「よろしおま、まあ、普段世話になってるひじり屋さんやさかい」
(世話掛けてんのはこっちの方やけど)
例のトランクの二人連れの一派でございます、Y さん。年よりは若く見えますが、なかなか
の落ち着きを感じさせ、ぼそっと喋る「おいしい」の一言がまことに哲学的に聞こえると言う、
しっかり者でございます。

 「これ、**の名物」と手土産をぶら下げましてある日の午後やってまいりました。
おもむろに パソコンの前に座るとひたすらキーポードをたたき、お、おったんや!とそ
の存在を忘れそうな位「シーン」と、HPの手直しをはじめたのでございます。
こちらはお茶を入れたり掃除をしたり、店の準備にわらわらしておりますと、
「今までの分はどこや」
「ほれ、ここココ、コピーしておまんねん」
「字、小っちゃ!」
「そうそう字の事でっけどな、・・・」
と、こちらのあほ丸出しの問いに「フ〜ン」と難しげな画面を出して調べだしたのでござい
ます。「****」やし「@@@@@」やから、と落ち着いた宇宙語の答えに私は只一言
「日本語でお願いしま〜す」。

 *  紹介しましたYさんは、「特定疾患」の「なんやら病」(何度聞いても覚えられん)と戦っておられます。
    と言ってもほとんど普通で?おのれの状態を熟知しうまく病気と付き合っています。すこしさめた印
    象のYさんですが、次回はちょっと意外な一面を紹介します、お楽しみに


               
                                                        
                     *****
2007年12月25日

ばかばかしいお話しの続きを。
「向いの空き地に囲いが出来たそうやな」「へー」、
ではなく!ひじり屋のお話です。

 「日本語でお願いします」とのたまわった私に、Yさんは困った
ような表情で何やらつぶやくと、又ひとしきりパソコンに向かい
まして、やおら
「要するに、でけへんてことですわ」
「さよか」(って解ってんのか!!)。
又何やらつぶやくとカタカタとキーボードをたたき出しますので、解決策でも考えてくれ
てんのかと、横でみつめておりますと、やたら独り言が増え居心地の悪そうな感じで
「どうぞ他の仕事を」とポツリ。やり難いんやと納得、と同時に「えーぇ、照れてる!鉄人
28号みたいに不可能は無いと思てたのに、人間やったんや・・・」と訳のわからぬこと
を思いながら、何となくホッとしたのでございます。

 「まぁごゆっくり」
私も暇ではございませんので、入荷した商品の整理やらをしておりますと、ややあって
「こんなもんでどうでっか」
「お〜、見やすなった」
「ここも字に色入れるとアクセントになるし」
「やりましたな〜、ちょっと高級そうに見えるやん」
「***やからQQQQと違うんで手間かかったけど、ま、ええンちゃう」
「・・へーそうでっか」(・・笑うしかない)
簡単なホームページの整備工事は無事終わり、なおかつページ数も増やしてもらい、
「ひじり屋物語」と「根付」のページが完成したのでございます。

 「おおきにおおきに」
「いいえ、又何かあったら」
どうやら人間であったらしいYさんは、乾杯の後さりげなく帰って行かれたのであります。

             

 *Yさんの頭脳明晰さと、かいま見せる、もろさ加減が私には新鮮で面白く可愛かった(失礼)、と結んでこの
  お話を終わらせて頂きます。Yさん有難うございました、来年も(仕事あるぞ〜)よろしくお願いします。

  (念のために彼女-女性です、はこんなベタな大阪弁はしゃべりまへん)       

                                                目次へ 戻る


2008年1月9日

 平成も20年となりました。昭和から平成に変わった時の違和感もどこえやらです。
「昭和」の文字にレトロ感を覚え、平成生まれが成人式を・・自分の頭の白髪が当たり前
と妙に納得してしまいました。

 先輩から「頑張ってたら何十年に1回位は大当たりがあるで、もっとも1回もない人もある
けど」と教えて頂いたことがある。そんなことがある訳ない・・と諦めていた頃、なんと伊万里
で大当たりしたことがありました。
 
 今から十年位前です。ある初だしの話しに、あまり期待せずに買取りに行った主人が電話
で「金なんぼあんねん」。さあそれからが大変、預貯金やら保険やらひっくり返してやっとこさ
鼻血を絞り出し、なんとか買えるもんだけ買う、残りはそれを売った金で何とかしょう、と上を
下への大騒ぎとなったのです。嬉しくてしょうがないはずの主人ですが割と冷静で買取った
伊万里を整理しながら「これをあの市場でやな、これはあのお客に声かけよか・・」と品定め
に余念がありません。私は、と言いますと何だかワクワクするのですが、もう一つ実感がなく、
主人が持帰った古伊万里を「う〜ん、そうか、そうか」と只、さわりまくっておりました。
                      
                      ***** *****
2008年1月26日

 さて、お正月ボケもそろそろ取れた頃でしょうか。
伊万里の大当たりの話、はてさて、いかがなりましたのでしょうか。

 「一所懸命頑張ってやってきたからやで」、「そうや、こんな事もないとな〜」と二人で
今までの苦労を思いやり手を取り合って喜んだ・・・とは絶対ならない夫婦であります。
しみじみ「骨董屋って金持ちがやる商売や」と思い知らされました。物が目の前にあるの
に買えないほど悔しい事はありません。一念発起、イザと言うとき「これで買いなはれ!」
とポンとお金をだす、一豊の妻ならぬ「ひじり屋の妻」になろうと、コツコツと内緒貯金を始
めました。(後日談ですが、結局そのお金は、自分が仕入れた古裂帳の代金と消えてしまいました)
  
 そんなこんなも懇意にしている業者の助けもあって、取りあえず資金稼ぎに市場で売り
しのぎ次の買取りに回しました。又、念願の上手の伊万里が出る会に参加が決まってい
たので「初出品で恥ずかしない品や」と勇んで持ち込んだりもしました。

 当時、主人がコレやと見せてくれた古伊万里は今でも覚えています。ある意味「勲章」
だと思ってます。上手の古伊万里は他でもたくさん扱いましたが、思い出に残るのはやは
りその時の品です。運が良かったのかもしれません、でも運をものにするにも力がいると
思いました。それ以後どんなつまらないお話しでも、行って見なければ何があるが解らな
い、をモットーに主人はこまめに買い取りにいそしむようになりました。
(と言うより、三度の飯より買取りが好きなんです)
                   
                        *****                                                      
2008年2月16日

 2月は売れないくせに忙しい月です。在庫調査やら税金の計算やら、なんとも色気のない、日数もない月
 です。では、大当たりのお話し、これも色気抜きでどうぞ。


 初期伊万里もふくめたその初だしの話は、私が詳細を知る前にすでに業者間で広
まりうわさになってました。この世界はせまい!、誰がどこでどんな買物をし、そして
誰にいくらで売れたかまで気がつけば皆知っていた、なんてことは当たり前です。
(客であれ業者であれ売買の値段は口外しない、が原則なんですけどね)。
「ひじり屋は大儲けした」みたいです。ちょっとこそばゆく嬉しい反面、裏を全て見られ
た様で「そんな言うほどはもうけてへんで〜」と、四苦八苦したしんどさから考えれば
トントンや、ホットイテくれと言いたくもなります。
 でもそんな大儲けしたはずのお金が手元にはほとんど残りませんでした。今でもそう
です、よく考えればわかります、売ったお金を持って誰かが嬉しそうにアチコチで仕入
れまくっているのです。業者はみんな言います「金は無いけど物はいっぱいあるで〜」
(ひじり屋も含め、みんな幸せな奴らです)
  
 話が横にそれましたが、その古伊万里は市場で売り、骨董祭で売り、もちろん店で売
りしばらく楽しませてくれました。でもそれで終わってないんですよ。それから半年が経
った頃、ある夜目覚めた私は、主人が例の古伊万里の一枚を「ええお皿やなー」と、ニ
ヤ〜と眺めているのを目にすることになるのです。そうか、やっぱり嬉しかったんや!と
、私にはない、主人の伊万里に対する思いをすごく感じました。
ありがたく貴重な初だし、このお家とはしばらく嬉しいお付き合いをさせて頂きました。  
                            



 誰かがどこそこで一発当てた話はあちこちでよく聞きます。

 よその話ではなく、自分の所にもいつか来るかも・・・

   を、励みにみんな頑張ってチラシの1枚も配っているのです。
   




 

                                                目次へ 戻
                                    
2008年3月27日

 骨董屋のお客様はお年を召した方が多く、若い方は数えるほどです。そして御年配の
方達は一様に皆さんお元気で頭のまわりも早く、「が、頑張らねば!」と、私はいつも刺
激を受けております。

そんな中でもずいぶんお世話になり、教えも頂き、ボーとしている私にいつもハッパをか
けて下すったお客様が、去年始めに亡くなられました。御年100歳でした。

洋食器がお好きでお菓子作りがお上手、よく手料理もご馳走になりました。中々のダン
ディーで月1回は知り合いの奥様方とお食事会を楽しんだり、お菓子の講習会を開いた
りしておられました。「年寄りは嫌いや、同じことをクドクド言うから」が口癖でした。
見事に最後までしっかりと生きられた様で、ご逝去の報をお聞きした時は、悲しいより
力が抜けた感じで、まだ実感がありません。

「あんな風に歳をとりたい」と常々思っておりました。
娘さんが後を継ぐかのように、元気でお仕事をされておられるのが清々しい感じです。

 どうぞ皆様その気骨で、こんな若輩者の私達を「ちょっとこの店からかってやろか」と、
ビシビシ叩いて下さい、お尻を真っ赤にして走り回りますので。            

                                               目次へ 戻る

2008年4月20日

山あり谷ありのひじり屋ですが、震災以後のターニングポイントになったのは6年前の店の引っ越しでしょう。

 伊万里の横ばい、何とか着物が助け船を出したが、でもそのまま煮詰まった様な安定
した様な頃、借りていた倉庫が立ち退きの為、新たに探さなければならなくなりました。
あちこち見た主人が気に入った所は、駅から5分、1階、当時の店の倍の面積等々で、
「店にエエンちゃうか」となり、予定もしなかった店の引っ越しとなりました。

 非日常に弱い私は、各書類の手続きや店の片付けに胃が痛くなる思いで準備に追わ
れ、主人は新たな倉庫探しと、アルバイトさんや知人の協力のもと新店舗の内装等、あ
わただしい日々がすぎてゆき、アレヨアレヨの間に引っ越し、店のレイアウト(なんてもん
じゃなくゴミ屋敷の片付けみたいだった)、喧々ごうごうしながらも格好がつき、やっと無
事新装開の運びとなったのは1月後半だったと思います。(ドヤ、この●なしで一気に書
き上げた文章は・・こんな気持ちだったんです)

開店祝いのシクラメンが異様に赤く見えました。

 「な、引っ越して良かった!と思えへんか」当時の主人の口癖です。そうです、この店
は確かに「吉」でした。思い過ごしかもしれませんが、公私とも色んな事がいい方向に向
ってゆきました。売上数字云々ではなく、ピカピカの1年生みたいな気持になれたし、武
者ぶるいが湧いたし、そう、トンネルを抜けた感じでした。
                  (トンネルの先にはシンドイ事、山ほど有りましたけどね。)
でも同時に主人はこうも言いました、「二度と引っ越しはイヤヤ!」。
                
          (と言うことは、この店でズーット頑張ると言う事やな。)

                                                目次へ 戻る


2008年5月8日

開店3〜4年ごろまでは、私は店番で売る人、主人は仕入れる人、みたいな分担が出来てました。


 そんな私が初めて大した意味もなく、意地を出して仕入れしたのが「ビーズの電傘
カバー」でした。裂市場に出たそれは、可愛い女の子とカバーを掛けた灯りの絵が描
いてある平べったい長方形の紙箱に入ってました。カバーは白布に少量のビーズが
裾にぶら下がっているだけのあっさりしたものです。が、一目見た瞬間に箱共々「これ
、好き!」で、使い方もよく解らないのに、東京の大先輩と競りましてチョットいい値段
で落札しました。

いそいそと持って帰りましたが、見るのも扱うのも初めての品、どうすんねん、なんぼ
で売るねん、と頭を抱えた挙句「エエねん、ずーと持ってても」と居直ったのであります。
飾るもままならず店に置いておりますと、ある日来た西宮の業者が飛びついて「なん
ぼ」。「ぶっちゃけた話仕入値**円です、1,000円でも付けてくれましたら」と商談成
立で、売れてしまいました。後々調べましても決して安くも高くもない値段だったと思い
ます。たまたま好きな業者に出くわしただけかもしれません。業者は丁寧に「昭和初期
位で日本のビーズ、状態良好、箱付きなのが値打ちある」と教えてくれました。

それ以降骨董祭で電傘カバーを片っ端から見ました。私が仕入れたのは特別高価
なものではなかった様です。何に惹かれて仕入れたのやら。
それから時々意地を出して仕入れをする事を覚えました。水圧で太鼓をたたくブリ
キの福助さんも「おもろいやないか」と仕入れ、東京の骨董祭ですぐさま売れました。
(さすがにこの時は、「絶対、値段まけへんで」と頑張りました)

 そうか私はこんなんが好きなんや、と自覚しました。こんなんがドンナンか、説明で
きませんが。

バンブービーズとリリヤンの電傘カバー
  
     


      ビーズの電傘カバーを見ると当時を思い出します。



        最近はあんまり飛びつけへんな〜。
                        

                  
               「あーさみし」



 
                                               目次へ 戻る


2008年6月4日

 先日お客様と「てぬぐい展」のお話をしていた時の事。娘が高校時代、剣道部に入って
いたのでよく手ぬぐいを買いに行った、とのお話になりました。
(えっ、もらう物では、ないの?)と浅はかな私です。

 女の子なので、可愛いのは無いかと京都や大阪に出た時買いに走られたとの事。
「試合終了後、礼をする時に面を脱ぐでしょ、そしたら頭の手ぬぐいが目立つのよ」
「手ぬぐい」から剣道に話が進んだ面白さに少し感動ものです。
「一試合が済むでしょ、そしたらもう汗でクタクタ、どんだけの手ぬぐいを買ったやら」
高校生の時、クラスのハンサムな男子が剣道部にいて、一時剣道部にあこがれたこ
とがありました。それが汗でクタクタの手ぬぐいのお話しとは、オモロ過ぎて、なんかう
れしくなりました。
「結構流行りがあってね、京都の専門店はええなーと思ったら1枚で3000位なのよ」
「専門店」にも値段にもびっくり。(買う物かよ〜とやっぱり思ってしまった)
確かに、別注かいなと思われる、ちょっと素敵すぎる手ぬぐいもあります。

                          

 ことごとく「てぬぐい展のて・ぬ・ぐ・い」に固くなっていた頭にいい刺激となりました。
 とても楽しいお客様とイイ深いお話でちょっと得した気分です、有難うございました。
                                      
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2008年7月20日

7月は四天王寺と東京の「骨董ジャンボリー」が準備期間を入れると連続してしまい、その上買取りが
それぞれに重なって、何となくアタフタしそうなイヤ〜な予感で始まりました。


 3日前からは四天王寺の荷物造り。
いつも通り山積みの着物を選別し風呂敷詰め、思ったより、やっぱり時間がかかる。
次に外売り用のちりめんハギレ、セット等を補充してこれも風呂敷で包む。

あ、夏だから麻を売ろうか、とハギレや着物を引っぱりだし、この一斗枡に酒袋を入
れ、この辺の小物も持ってってしまおう、そや、先月やたら帯締めが売れたな〜、で
は帯締めもしこたま持っていこ、注文の大島と白絣もいっぱい入荷してるからこれも
積まねば・・・・・と、やたら「、」ばっかりの文章になってしまう位、アレモコレモとなる。
そこの所をエイと見切りをつけて「よっしゃ、これ位で勘弁したろやないか」と収める。

 まあ、着物関係は20包みに3箱、これに主人が「天気が良さそうやし祭日やから客
が来るで」と、「ほな道具も目一杯積もか」と元気に宣言。
え〜、アンタは四天王寺に荷物降ろすと買取りに行ってしまう、(そうです、緊急の買
取りが入っていたのです)そして私とバイトさんで必死に商品を並べ必死に売るのか
この極暑のなか。そしてきっと泣きそうになりながら西日を背に受け、後片付けをす
るのだ。(私にはそれが目に見える)

 買取りの荷物が多かったら、この四天王寺の荷物はいったいどうなんねん。
「まあ、買取りしてからどうするか電話するわ」とご主人様。
見切り発車かよ!!。                  
                           
                                 

我が家にはクーラーも扇風器(行方不明)もありません、不思議に
死ぬ程暑いと思ったことはなく「エコじゃ、エコじゃ」と二人共元気です。
ですから、暑い位は何ともないのですが、これに売上や
売上や搬入
搬出がかかってくると非常に神経を使い、疲れます。
         
                        こんな私でも!
                  
                  ***
後日談。
はい、四天王寺まあ見事な暑さ。(しかもご丁寧な事に、すぐ隣でおおい茂っていた楠が春
に枝を刈り取られていた)逃げ場もなく只ただ水分補給するのみで、商品の値段交渉する
お客への愛想笑いが溶けてしまいそうでした。

「ほんま暑いね〜」と顔をしかめるお客様。
「イヤになりますね」(ようまあ、出てくる勇気があること)
でも、皆様欲しい物は見てしっかり買って行かれます。(負けるわ〜)

売上は、外国人客に鉄瓶や塗り物が売れ(この方達は皆とても元気でした)、夫婦連れが粘
り強く値段交渉して色々道具類を買って行き、古布が思ったより反応が良く、等々で何とか
そこそこ上がりました。ちょっと胸をなでおろす事が出来ました。そして、そして
無事に夕方主人は商品を荷積みに来てくれました。

アルバイトさんお疲れ様、そして暑い中来て頂いたお客様、ありがとうございました。
(主人も買取りした荷物を倉庫におろし、取って返して四天王寺へと、1日ご苦労様でした)

                                                                     目次へ 戻る


2008年8月9日

 真夏の祭典?骨董ジャンボリー出展の為東京へ

極暑のみぎり、こころなしかお客様が少ない様な気がしましたが、「古伊万里」が予想外
に少し売れ、まあまあの商いでホッと一息、来る道中のしんどさが報われた思いです。

 今回の東京行きで楽しみにしていたのが、知人の漫画家成田美名子さんの紹介で
「お能・狂言衣装と面の虫干し」を拝見出来る事でした。

 骨董祭終了の次の日、ワクワクしながら、A能楽堂まで炎天下車を飛ばしました。
関係者や役者の方達への挨拶もそこそこに、早速舞台で拝見、と行きたかったのですが、
当方の準備不足で白足袋が足らず、貸して頂く事に。(お手数掛けました)
神聖な舞台に上がるには必ず白足袋姿です。(以後、気をつけよう)
おずおずと入ったとたん衣装の山の下をくぐりぬける状態で、能楽堂の舞台を覆い尽くさん
ばかりに衣裳がつりさげられ、客席にはたとう紙がそこここに広げてありました。
やさしげな扇風器の風が、「衣裳の虫干し」なのだ、とボーとしている私を現実に戻しました。
これは「羽衣」等と教えていただいたのですが、後は何を言われたのか、トンと覚えておらず
古い衣装が「東京大震災」でほとんど焼けてしまった話にはちょっと悔しい気がしました。

 隣の部屋では数人の女性が衣裳のほつれ等を手直ししておられました。
ほとんどが能樂関係者の知人、奥様方のボランティアとの事。
皆様、只只黙々と針を進めておられる姿が印象的でした。(感服、言葉がありません)
成田美名子さんも神妙にお手伝いしておられ(締切明けなのにご苦労様です!)、私も次回
チャンスがあれば、腱鞘炎気味の腕に鞭打って必ずお手伝いせねばと思いました。                                                   
         (次回は面の虫干しのお話、お楽しみに)                  〜 続く 〜

                     〜 御案内 〜
   
    「三聲會」主催
       
     狂言 塗師
     能   松風

    平成20年12月6日(土)午後2時開演
    喜多六平太記念能楽堂 於
  
    お問い合わせ
    銕仙会内 三聲會 TEL.03-3401-2285



    * 成田美名子 「花よりも花の如く」 白泉社出版
     ちょっと古典芸能に興味ある方、ぜひ一読を。
      楽しく、ストーンと入ってきて 「小難しそうな能樂界も人間くさい、それもやさしくてオモロイ人達」と、
      もっと身近に感じ、好きに なると思います。

 
  (当方ほとんど能楽等に関して知識がなく、固有名詞等の表現に間違いがありましたら御連絡下さいませ)
  
                                         
                                                 目次へ 戻る


2008年8月24日
 
 次の日、能面の虫干しは一般公開もされていて
数十人の人達が少々緊張気味に拝見
されていました。私も、さあ拝見するぞ、と面(おもて)の前へ移動したとたん、イエローカー
ドを食らいました。狭い空間をまたいだのがダメだった様で、所持品は別に置き、扇子1本
もダメ、面に危害を加える事のない様、細心の注意が払われていました。
よく考えればそうです、重文にも匹敵しようと言う面もあり、なんといっても二つとない、その
素晴らしさは後世に伝えられねばならない貴重なものです。
 
 なんて小難しい事は抜きにして、見れるだけでも感激物、しっかり心に刻もうと、張り切った
割にはどう見ていいやら、思案の末「どれが一番好きやろ」と考える事にしました。
「孫次郎」の面が、とても好ましく思えました。亡き妻を慕って打ったとの謂れがあり、物語り
を感じさせてくれます。他に「弱法師」や「痩せ男」「かわず」等も気になりました。その消え入
りそうな「あんた、どうしたん」と思わず聞きたくなるようなたたずまい?にはすっかり引き込ま
れてしまいました。次回は物語をしっかり勉強して来るつもりです。

 何度も何度もたくさんの面を、立ったり座ったりしながら取りあえず拝見させて頂きました。
汗だくで観世銕之丞さんが主要な面を説明して下さったり、主人が質問した「一角仙人」の
面を着け表情を見せて下さったりと、貴重な一時はあっと言う間に過ぎてしまいました。
 時間が来て、面をしまわれる、拝むかの様に面と対峙し、しまわれる銕之丞さんのお姿が
印象的でした。

 帰途、二人とも言葉らしい言葉もなく一路関西へと車を走らせましたが、疲れもなんのその
「いいもんを見せてもろた」と胸はいっぱいでした。




 
今回の虫干し拝見では、私達見る側の作法、古い貴重なものに対しての           心がまえ等を、しっかりと教えて頂いた 気がします。有難うございました。





                               目次へ 戻る





2008年9月25日

 暑かった今年の夏休みは、「家でゴロゴロ」と
「青森へ温泉」に、となりました。

 ルンルンの青森行き、乗り換えが少ない「夜行寝台車」で一路青森へとなりました。
当日時間調整に大阪駅で夕食を、と店を探しましたが、ホントおのぼりさんもイイとこ
で、あちこちウロウロオロオロ、そして乗車ホームを探すのも、なぜだか表示がなく?
これまた四苦八苦。「どこの田舎もんや」と大笑いの旅の始まりとなりました。

やっと乗車、乗ってる間本でも読んで、ムシャムシャ食って飲んで・・なんて遠足気分
を予定していたのですが。確かに文庫本は読めました、主人はビールで真っ赤になり
ました、が、私は寝台車の振動と音響に、背中と耳が痛いわで、まんじりともせず一夜
を明かしたのございます。(シンドカッタ!)
 
 でも、寝台車の夜明けはなかなか良いものです。車内放送もなく着くわびしそうな駅、
そしてガッタンの音と共に列車は又走り出します。何処からか聞こえるひそやかな話し
声、カーテンの内側で荷物をカサコソとさわる音。皆、動きがパントマイムの様で、静か
に洗面に行き身づくろいをし、たよりなげに下車していきます。
なんてことのない景色がゆっくり流れてゆきます。
 前夜仲良くなった女の子が下車しそこない次の駅で慌ただしく降りてゆき、そろそろ
音に色が付いてきた感じで「朝」がやって来ました。
主人も上段から空いた下段の席にごろりと横になると、少しまぶしそうに外を眺め本を
読みだしました。
寝不足はつらいけど、このまったりとした雰囲気は何とも気持ちの良いものでした。

 青森の主人の実家に着いたのが昼頃、いっぷくの後主人の叔父さんに温泉場まで
案内してもらいました。ゆっくり湯船で旅の疲れを・・と思っていたのですが、お湯が熱
過ぎてユックリなどとても無理。見ると湯船を取り囲むように数人の人が木枕をして寝
ているではありませんか。少々抵抗を感じましたが、旅の疲れには勝てず寝てまえ!
と、どっかり横になりました。熱いお湯のおこぼれが体にちょうど良く、どこのよそ者が、
なんて思われてはいまいか、いやみんな裸やわかれへんで・・と夢うつつに思いなが
らウトウトと過ごしました。
                                         〜 続く 〜
                                           
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