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【三田焼関係者年表】

油屋新兵衛 神田惣兵衛後継者
伊勢幸 清水焼系
今村静斎 (1889明治22年〜1922大正11年34才)本名を静治 篠山焼
今村源太郎 二代目静斎 篠山焼
内田久太郎 (1878明治11〜1944昭和19年66才)
内田一次 五代陶作せず
内田久右衛門 二代忠兵衛 畳忠
内田久吉 (1846弘化3〜1933昭和8年86才)三代忠兵衛 たたみや明治10年の第1回内国勧業博覧会出品作制作
内田忠兵衛 (1753?〜1813文化10)畳忠、志手原焼陶工、享和元年(1801)香下の砥石谷の川岸で青磁用原石を発見し、丹波立杭窯で試作し、天明9年天狗ヶ鼻窯開窯。
江戸時代末期の文政元年(1818)にさかのぼり、当時の篠山藩主・青山忠裕が王地山(篠山市河原町)の地に、京焼の陶工・欽古堂亀祐を招いて始めた藩窯がその発祥といわれています。
築窯時期から、王地山陶器所として名声を博しましたが、藩の廃止とともに明治2年に廃窯となって以来、その伝統が途絶えていました。
大西常介 明治10年の第1回内国勧業博覧会出品作制作
岡田弥兵衛 三田茶碗山支配人
尾形周平 (1796寛政8〜1839天保10年43才)
亀井貞子 三輪明神窯亀井家
亀井貞平 三輪明神窯亀井家
亀井熊吉 (〜1807文化4)亀熊、京都五条坂陶工亀屋熊吉
亀井甚吉 (1846弘化3〜1911明治44年65才)亀甚、百寿
亀井甚兵衛 明治10年の第1回内国勧業博覧会出品作制作
亀井与吉 (〜1858安政5?) 亀与、亀寿
亀居吉之助 (1874明治7〜1944昭和19年70才)竹亭
亀居塔次郎 (1898明治31〜1968昭和43年70才)
亀居貞次郎 (1811文化8〜1894明治27年83才)二代亀貞
亀居又右エ門 貞次郎、亀枝、亀貞
亀屋熊吉 清水焼系
亀常 清水焼系
神田重左衛門 (1781天明元年〜1848弘化5年67才)
神田惣兵衛 (1762宝暦12〜1838 天保9年76才)二代目惣兵衛幼名を小池九十郎、三田焼パトロン、寛政11三輪明神窯始める、文政5虫尾新田窯始める、十九歳の時、三田本町の内神屋の婿養子となった。惣兵衛を襲名し、義重と名乗った。
寺村庄屋喜多家覚書に「寛政拾壱(1799)巳末、三輪村明神山裏に茶碗山をはじめ、7月 窯付き細工人 太一郎・貞次郎、12月13日焼き始め、みん風の盃茶碗これなり」と陶磁両用の四窯式登り窯の明神窯を作り、多くの職人を使い呉須・染付・赤絵・白磁・緑釉など三田焼の始まりが記録されている。
かねてから内田忠兵衛の三田焼を有望な郷土産業として注目していた惣兵衛は、三田焼に唐物磁気の技術を導入さすため大坂蔵屋敷の斡旋で肥前有田の職人を招いた。一時隆盛を極めたが、江戸出店等の拡大政策に歪みがきて、採算はとれなかった。あれやこれやの手違いで失敗も重なり、さしも大家内神屋にも陰りが出始め、文政七年には店舗や母屋を担保に惣年寄り麹屋(福尾)重次郎を取次ぎ人にて銀子借用証文を差出している。
文政9年、三田茶碗山支配人は岡田弥兵衛に代わり、三輪町、久代屋安兵衛・油屋新兵衛が後継者になると、亀祐は紀州候に招かれ、瑞芝焼の指導に出向き、文政十年、三田藩十人両替集に内神屋の名はなく、三田藩引換役も退き、惣兵衛が三田青磁への出資が思うに任せず、苦悩の日々を迎えると、亀祐は篠山藩 青山候に招かれ王地山焼の指導に出向くなど、三田を離れがちになり、文政11年(1828)亀祐が京都に帰った頃より三田焼の盛りは過ぎ、衰微の兆しが見え始めた。
天保9年(1838)10月20日、三田青磁にその人生を燃焼させた神田惣兵衛は76才の生涯を閉じた。 惣兵衛の相続人十左衛門が弘化5年に死去して神田家は逼塞してしまった。文政5年(1822)三田青磁の最隆盛期に惣兵衛は、有馬富士山麓の大原村虫尾新田に登り窯の新窯を築いた。
瓦谷亀吉 明治10年の第1回内国勧業博覧会出品作制作
片山庄三郎 明治5年に黒井焼を継ぎ25年に廃窯(氷上郡誌)
欽子堂亀祐 (1765明和2〜1837天保8年73才)土岐亀祐、文政13年(1830)秋に『陶器指南』を著した。虫尾新田窯、三輪明神窯、元伏見の人形師であった。亀祐銘の土型は、丹波国の王地山焼、播磨国東山焼興善寺窯、紀伊国男山焼からも出土しており、亀祐が関西の諸窯に招聘されて青磁を焼いたとことが明らかです。
欽子堂亀祐二代 (1799寛政11〜1828文政11年 29才)勇蔵
欽子堂亀祐三代 (1807文化4〜1870明治3年 64才)喜助、亀助
欽子堂亀祐四代 (1843天保14〜1923大正12年 80才)嘉助、亀助
欽子堂亀祐五代 (1870明治3〜1926大正15年 56才)ラク
欽子堂亀祐六代 (1897明治30〜1972昭和47年 75才)重太郎
欽子堂亀祐七代 (〜1999平成11年)ゆき
久代屋安兵衛 三輪町、神田惣兵衛後継者
小西金兵衛二代 志手原窯小西家
小西金兵衛 (〜1763宝暦13)志手原焼開祖
小西常吉 (1854安政元年〜1919大正8年65才)第2回内国勧業博覧会には、八角・丸形・六角の植木鉢、丸形平鉢と香炉を出品しています。出品目録には「陶器」とありますので、主力製品は呉須手であったと考えられます。
明治23年の第3回には、小丼、丼、土瓶、蓋物、煎茶碗、薄茶茶碗など食器類10点を出品しています。この折常吉が出品した「三組鉢赤絵」が褒章をうけました。
その理由は「製作通常ナリト雖モ価格極メテ廉ナリ頗ル嘉ス可シ」つまり、製作は通常だが、価格が極めて廉価であり、そこがよいとあります。父又兵衛を伴い分家しましたが、大正3年には隠居して家督を三男慶助に譲り、大正8年に死没しました。こちらの家が陶業に携わったのは常吉の代までといわれています。
小西藤兵衛 (1844弘化元年〜1919大正8年70才)、第2回内国勧業博覧会には、丸形花瓶、平鉢と植木鉢を出品し、出品目録には「陶器」とありますので、主力製品は呉須手であったと考えられます。
明治23年の第3回では、花瓶、植木鉢、水鉢の3点を出品したに過ぎませんでした。
小西百助 1890明治23〜1976昭和51年86歳)十六代目、藤兵衛の七男の百助が長兄市太郎の養子となり家を継承し、大正8年頃には邸内に新たに登窯を築きます。昭和19年頃まで
小西又兵衛 (〜1888明治21年 70才)
酒井三郎右衛門 三田薄御用達の神田惣兵衛が、京都の欽古堂亀祐を招請し、更に酒井三郎右衛門と協力のもと古市焼の製品の質的向上と、事業の拡大を図ったと考えられる。
波賀野村・波賀野新田村・見内村の三村立会山の陶石を余業として三田や姫路へ販売していた。
白井庄兵衛 明治10年の第1回内国勧業博覧会出品作制作
白井屋庄兵衛 天保白井屋庄兵衛呉須銘の赤絵皿
白井清兵衛 明治5年に黒井焼を継ぎ、25年に廃窯(氷上郡誌)
七兵衛 清水七兵衛とは別人 (沢谷焼)
芝虎山 (1867慶応3〜1931昭和6年64才)虎夫、明治23年9月に三田青瓷合資会社を設立して青磁製作の改良につとめました。
明治28年の第4回内国勧業博覧会には青磁56点で、徳利・手塩皿・皿・平鉢・丼鉢・三ツ組丼鉢・会席膳・吸物茶碗などの食器類、杓立・水指・香合・蓋置・筆立・急須・薄茶々碗・火入などの茶道具、また火鉢や煙草入などもみとめらました。
明治35年の最後の第5回には、花生、香炉の他、食器類17点の青磁を出品しています。大正から昭和にかけて、芝虎夫は三田青瓷合資会社を維持経営しました。
炭谷惣兵衛 明治14年の第2回内国勧業博覧会出品作制作
関屋逢乃助 天保6年a平陶器所に出向、三輪村
田中利右エ門 幕末に三輪明神窯を買い受け、1859安政6三田田中始める。明治10年の第1回内国勧業博覧会に三輪明神窯で製作した、花瓶・香炉・花立・角重箱・鈴虫入・鐘馗と、西行の置物など青磁16点を出品しています。
それらは亀井甚兵衛、大西常介、福井由兵衛、瓦谷亀吉、白井庄兵衛などの製作したもので、牡丹唐草文、銀杏唐草文様、亀甲彫などの優美な文様が刻まれた大型の装飾青磁でした。
明治14年の第2回では、前回同様に花瓶、香炉、置物などの装飾品に、植木鉢・掛花生・手鉢・壷・徳利・平鉢・杯洗・一輪活・香具・硯などの飲食器や文具などが加わり、六角の珈琲茶碗といった洋食器も出品されました。職人にも炭谷惣兵衛、札場佐右衛門、内田久吉、伏見鶴之助らが新しく参加しまし、青磁で有功賞を受賞する。
明治23年の第3回には、利右衛門は135点を出品しましたが、その内容は前回までと大きく異なっています。青磁は124点で、残り10点が呉須手、すなわち白化粧の陶胎染付でした。これらは全て陶工内田久吉が製作したものでした。青磁では、新規の器種として、平鉢・丼・皿・中皿・小皿・盃・手鉢・片口・蓋物などの食器類、煎茶器・火入・杓立(しゃくたて)・薄茶茶碗・香合・蓋置・水注・小桶などの茶道具などが多量に出品されました。呉須手は平鉢・中皿・小皿・茶器などでした。今回は伝統的な装飾青磁はほとんど出品されませんでした。食器や茶道具などの小物類へと変化しています。江戸時代の伝統的な様式の青磁の器物の生産から脱して、手工業品の食器や茶器生産へと移行することで、三田焼は近代化を図ったとみることもできます。しかしこの試みは充分成功したとは思えません。
明治28年の第4回には田中利右衛門は20点の青磁を出品したのみでした。
太一郎 肥前三川内の陶工、寛政11三輪明神窯開窯に参加
定次郎 肥前三川内の陶工、寛政11三輪明神窯開窯に参加
ドレッセル 明治22年三田青磁合資会社視察指導
兵庫屋清兵衛 1805文化二年欽古堂亀祐門人三輪明神窯で作陶始める
兵庫屋長兵衛 天保6年a平陶器所に出向、三田新町
伏見鶴之助 明治14年の第2回内国勧業博覧会出品作制作
札場佐右衛門 明治14年の第2回内国勧業博覧会出品作制作
福井由兵衛 明治10年の第1回内国勧業博覧会出品作制作
松屋菊三郎 蓮代寺窯開祖
向井喜太夫 窯元
八田忠 清水焼系
柳亀堂亀七 (〜1875明治8)三輪明神窯、王地山窯陶工、亀祐に師事し型物の第一人者となる

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